漫画における「うまい絵」

オレには漫画好きの友人知人が何人もいるのだが、「絵のうまさ」について議論しているとかならず決裂する4歳年下の女性がひとりいる。彼女にとって「うまい絵」とはデッサンがしっかりしており、手足のバランスがきちんと取れている絵を指す。最近、彼女に勧めて「絵が下手」と言下に片付けられた漫画家というと、こうの史代吾妻ひでお久米田康治、はたまた黒田硫黄の初期作品のごく一部も、さほどうまいわけではないと*1、死屍累々たるありさまである。これではいしいひさいちを現代最高の「絵師」と評価するオレとでは話が合うわけがない。
そんな彼女に向かって、ファインアートにおける「うまい絵」と、漫画における「うまい絵」は別物であって、おまえは前者の基準で後者を判断しようとするからおかしなことになるのだと反論を試みたことは何度もある。しかし「漫画における『うまい絵』」の基準をこちらがうまく定式化・言語化できていないからには、話は平行線をたどらざるをえない*2。ああ、彼女の顎を打ち抜く鋼鉄のごとき論理がほしい……。
ちなみに付け加えておけば、彼女は決して「アートな」漫画にしか価値を認めていないタイプではない。『鋼の錬金術師』や『のだめカンタービレ』(あ、しまった。買い忘れた!)や『DEATH NOTE』や『闇金ウシジマくん』の新刊を心待ちにするごく普通(?)の女性でもあるのだ。それなのになぜ、ここまで話が噛み合わないのだろう。

*1:ここは当初は「(ごく一部を除いた)黒田硫黄」と書いていましたが、発言者から修正の依頼があり、表現を変更しました。

*2:あたかもクラシック音楽ファンとロックファンのこの種の議論が、決して噛み合わないのと同じように。