カネで買える感動?

岡田暁生西洋音楽史』(ISBN:4121018168)読了。面白かった! クラシック音楽に興味があり、歴史的な背景を勉強するのが苦痛にならないひとは必読。

 音楽史の十九世紀は、一枚岩ならぬ「二枚の岩」からできていたといってもいい。パリに象徴されるグランド・オペラ/ヴィルトゥオーソ・サロン音楽は、「社交としての音楽」とか「あくなき豪奢の追求」といった宮廷文化の名残を引きずりつつ、それを俗物化(成金化とか金ピカ化といってもいいだろう)したような性格をもっていた。それに対して堅実な教養市民階級に支えられるドイツ語圏の音楽文化にあっては、虚飾を断固拒否し、宗教や哲学に比肩するような「深さ」や「内面性」(いずれもドイツ音楽の偉大さを形容する際の決まり文句である)を音楽に求める傾向が生まれた。現代の「娯楽音楽vs芸術音楽」の対立のルーツは、このあたりにある。(第五章より)

このフランス的なものとドイツ的なものの対立は、いまでも続いている。文化一般に感覚的な歓びを求めるか、精神的な充実を求めるかの違いであり、どちらの立場に付くかを決められずにおろおろしているのが、現代人のすがただろう。
話はずれるが、最近、少し気になることがある。感覚的な歓びにも精神的な充実にも冷淡なふりをしているひとを、ネットでたまに見かけることだ(特に理工系出身のひとに目立つ気がするが、これは偏見かもしれない)。感情を揺さぶられることへの過剰な嫌悪。秩序への忠実さ。しかしこういうひとこそ、本当は心の底から湧き上がる感動を求めており、だからこそ金銭で手に入る感動には無関心なのかもしれない。