肉球の奏でる音楽

「ピアノなど、猫でも人間でも叩けば同じ音がする」なる「ピアニスト無用論」で、物議をかもした兼常清佐という人物がいる。このひとが本当はピアノとピアニストを愛していたことは、

音楽と生活―兼常清佐随筆集 (岩波文庫)

音楽と生活―兼常清佐随筆集 (岩波文庫)

を読めば判る。

 それに、ベルリン時代にはリストの弟子ザウアーをはじめ当時新進だったギーゼキングなど、一九二〇年代の多くの大ピアニストを(兼常)氏はきいており、その耳で日本にピアニストがいないことを断じた警句が<ピアニスト無用論>となったのだが、それに気づかずに氏を変人扱いしたのは滑稽なことであった。もっとも、氏にたしかに奇行の主といえるような一面があったことは、たった一度だけお目にかかったことのあるわたくしにも、察せられたことだった。
 ともかく、ピアニストの指であろうと猫が歩こうと、鍵盤が凹みさえすれば一応、ピアノの音が鳴ることはたしかであり、こればかりは他のどんな楽器にも通用しない、ピアノの絶対の強みである。
柴田南雄「ピアノについて」(青土社『音楽の理解』より。強調は引用者)

弦楽器や管楽器であれば、「楽音」の名に値する音を出せるようになるまではかなりの修練が必要だが、ピアノでもっともらしく「ドミソ」の和音を叩くのに、さほど時間はかからない。そしてこの特徴はピアノの発展形であり、ある意味では完成形とも言える鍵盤付きシンセサイザーでは、さらによく当て嵌まるであろう。
そこでわが駄猫、春野をKORGmicroKORGの上に座らせてみた。凹凸だらけの鍵盤の上は居心地が悪いのか、30秒が精一杯であった。演奏の結果は以下のファイルに収録してある。
http://yskszk.org/mp3/kanetsune.mp3
なおカットオフ、レゾナンス、アルペジエーターなどによる音の加工は一切ない。何だか現代音楽風の薄気味悪い曲になってしまったが、これはこれで当然であって、何の訓練も受けていない猫がいきなり調性音楽を奏で出したら、そちらのほうが恐ろしい。
写真は終演後のくつろいだ駄猫。