「萌え」と虚構性

あまり指摘されていないが、「萌え」には虚構性が欠かせない。たとえば美少女ゲームのヒロインやアイドル歌手と実際に恋愛できる可能性は少ない。だからこそわれわれは安心して萌えることができる。
しかしこれがクラスの同級生や会社の同僚となったらどうだろう。同僚から「オレ、第二書籍編集部の○○さんに萌えてるんだ」などと言われたら、「萌え文化」に理解のあるひとでも多少は戸惑うだろう。なぜそこで普通に「好き」とか「可愛いよね」と言えないのか。
もっとも身近にいる人物を「萌え」の対象にして妄想することは、ないわけではない*1。この場合は、相手に何らかのフィルターを通して、意図的に距離を作っているのだろう。自分が傷つかないために、あるいは相手を傷付けないために。そして「何らかのフィルター」ができあがるまでのプロセスに、オレはいま関心があるのであった。

*1:たとえば「げんしけん」の荻上を参照せよ。