死と乙女

ネットを通じてごく緩やかなつながりを持っていたひと(共通の友人知人は多いが、本人とはあまり親しくなかった、むかし愛読していたサイトの管理人だった、など)の訃報に接すると、わけもなく動揺する。もっともらしく追悼の念を表明するのは嘘臭いし、かといって無反応でいるのも難しい。パーソナルな(すなわちおおやけにするつもりが一切ない)「祈り」が必要とされるのは、おそらくはこういうときなのだろう。
それにしてもオレはなぜ、「わけもなく」動揺するのか。それはネットがなければ、薄いつながりしか持っていなかったひと(mixi風に言えば、「友人の友人」)の訃報など、知る由もなかったからなのだろう*1。さらには亡くなるのがほとんど20代、30代であることも、オレの動揺を増幅させる。少産少死化社会といえども、若くして死んでしまうひとは死んでしまう。それも意外なくらいあっさりと。

*1:亡くなった相手がいわゆる有名人であれば、話は別だが。