トラ感

オレが猫という動物を食用以外の目的で非常に好んでいるのは、この日記を定期的に読んでいるか、あるいは実際に面識のあるひとであれば知っているだろう。しかしオレは、猫に関するものなら何でも好むわけではない。正直に言えばイラストやぬいぐるみとして図案化された猫に、心を揺さぶられることは少ない。イラストであれば犬や熊のほうが、まだしも「ぐっとくる」ものに出会える*1。何というか、猫のイラスト類には「トラ感」が決定的に不足しているのだ。
ご存じのように猫はもともと虎と種を同じくする肉食動物である。正確に言えば虎がネコ目ネコ科に属するわけだが、とりあえずそんなことはどうでもよろしい。ともあれ猫の表情や立ち居振る舞いに、ときにはいかにも肉食動物めいた残忍さが宿るのは、猫を飼った経験があるひとならば同意していただけるだろう。この「いかにも肉食動物めいた残忍さ」をオレは「トラ感」と呼んでいるのだ。猫の愛らしさは、そのうらはらにある「トラ感」と切っても切り離せない。
さりながら市販されている猫関係のグッズの多くは「トラ感」を骨抜きにして、ひたすら「愛らしさ」「子供っぽさ」「ファンシーさ」を前面に押し出している。だからこそオレは物足りなく思うのだ。かといってできるだけリアルな造形で猫のぬいぐるみを作ろうとすると、「トラ感」もなければ猫ならではの可愛さもない、「くしゃくしゃとした何か」になってしまう。ああ、オレはいつになったら理想の猫に出会えるのだろう……、と実際にこの部屋にいる生身の猫こそが「理想の猫」なのに、虚構の猫に理想を求めるとは、いかにもオタク的に倒錯した話ではある。

*1:ところで熊のイラストを愛するひとは、本物の熊を目の前にしてもなお同じ感情を持続できるのだろうか。それ以前に問答無用に恐ろしい生き物であるはずの熊が、なぜ「可愛い」アイテムとして定着したのだろうか。