「制限された自由」としてのフジロック?

ちなみに『インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?』の著者のブログは以下。
http://blog.moriken.org/
ざっと流し読みしただけなのだが、フジロックに関するエントリが目を惹いた。
ロックフェスの割れ窓理論
http://blog.moriken.org/?eid=138163
フジロックの会場があまりにもきれいすぎることに違和感を表明するひとには、これまでにも何人かお目にかかった。フジロックをかなり高く支持している(最近ではあまり行っていないのだが)オレはこうした言説に接するたびに、「『ロックは薄汚く、野蛮でなければならない』というイデオロギーに捉われすぎじゃないのか」と思うのだが、「割れ窓理論」を持ち出してこのフェスティバルの問題点(むしろ「限界」か)を示した森氏の論考には、単純な「ロックはかくあるべき論」にはない思考の広がりを感じた。
ただしフジロックは第1回があまりにも惨憺たる内容で、マスコミなどからも非難されたため、その反動から主催者も参加者も「次からは第1回の失敗を繰り返すまい」という意識が高まったという、ほかのロックフェスにはない事情があり、そこには配慮が必要なのだが。