好きになれずにいられない

ネットでも活字媒体でも、「○○が好きなひとなら、××も好きになれずにいられない!」という批評もどきの宣伝文をたまに見かける。この言葉に接するたびに、本来はパーソナルな感情である「感動」や「愛着」*1をあたかもパブリックなものであるかのように語る押し付けがましさ、あるいは「××が好きなら、○○も当然知っているよね?」という、これまた押し付けがましい似非教養主義を感じ取り、いずれにしてもいささか嫌な気分に襲われる。
などと噴き上がると、「ネタにマジレス、乙!」と言われてしまうのだろうが。

*1:感動や愛着が果たして本当に「パーソナル」なものと言えるのだろうか?」という疑問も当然ながら湧くわけだが、ここでは不問に付す。