サブカルとオタク

mixiの一部で「サブカルとオタク」に関するちょっとした議論が起こっている。そこで何かの参考になるかと思い、昨日に引き続いて竹熊健太郎ゴルゴ13はいつ終わるのか? 』(ISBN:4872575415)から、いくつかの文章を引用する。


 そもそも七〇年代まではいまでいうオタク的なものも、サブカル的なものも全部同じサブカルチャーだからね。夏目さんの世代なんかを見るとモロにそう思うよ。あの世代であればロックもマンガも等価なもので、マンガにのめり込みながらコンサートに通って女の子ナンパしたりとか、ふつうだったわけだからね。七〇年代のサブカル事情というか、「オタク前夜」の気分については宮台真司が秀逸な論文(「新人類とオタクは何だったのか」『制服少女たちの選択』講談社)を書いてるんで、読むといいと思う。(p187)

……人間は「大人になること」はなかなかできないけれど「大人のふり」はできる。それが、たとえば周囲に対するシニカルな距離のとり方だったりするわけだよね。とりあえず物事や周囲の人間にシニカルな態度を取っておけば、自分の脆弱な内面を不用意にさらけ出して「恥をかく」リスクを回避できる。しかしそれは半熟の卵みたいなもので、中身は脆弱なまんまなんだよ。(p213)
後者はオタクだけではなく、サブカルにも当て嵌まる問題だろう。