ひゅーひゅー

id:yms-zun:20050323#chunibyoの件ですが、もともとはyms-zunさんが「譬喩に頼るのはよくない」とことあるごとに強調するのが興味深く、どこからこうした姿勢が生まれるのかを考えてみたかったのが、もとの文章を書いたきっかけです。

たしかに感覚的な譬喩を濫用することで「判った気」になるのは危険かもしれません。しかし譬喩そのものに拒否反応を示している(ように見える)のは、行きすぎなのではないでしょうか。そしてこうした「譬喩に対するかたくなさ」が、すべてを整然と秩序立てていたいという欲望にドライブされており、そこが正かなへのこだわりやCSS原理主義的と共通しているのが面白く、ついつい「それって中二病っぽいよね」とひとくくりにしてしまいました。まあ、こうして安易にレッテルを貼る段階にとどまり、そこから先まで踏み込んだ考察を書けないでいるのは、オレの不徳のいたすところではあります。ただ「正かなを使うひとは中二病っぽい」と書いただけで、yms-zunさん以外のひとまでが過剰反応すること自体が、ある種の徴候なのではないかとも思えます。

あと「ならば対象をぼかした嫌味など書かないでいただきたい」とのことですが、それならばなぜ、


中二病とか高二病とか関連性を見つけてどんどん定義を積み上げていくのはそれあ面白いかもしれんけど、さうやつて「AとかBとかが好きな人はナントカ病」だの「ナントカ病が次の段階に進むとCとかD」とか定義付けて遊ぶのを面白がりたがる傾向にもなんか適当な病名つけとかなくていいんですかね、自分で。「思考が広がる」とでもいへば格好がつくのかもしれんが。(id:yms-zun:20050321#fever)
のような、「対象をぼかした嫌味」を書くのでしょうか。