中二病としての正かなづかひ

何でもかんでも「中二病」と呼んでしまふのは思考停止だと思ひつつ、ネット上で正かなづかひに異様なこだはりを示すひと*1は重度の中二病に陥つてゐる気がしてならない。オレ自身がティーンエイヂャーのころに正かなづかひで文章を書くのに凝つてゐたからこそ、余計にこんな風に思ふのだらうが。

ちなみに当時のオレは文学的あるいは政治的な信念にもとづいて、正かなにこだはつてゐたわけではない。正かなで文章を書くと、あまりにもしまりのない自分の文章に「正しい形式」が与へられたやうに感じられたのが、そこはかとなく嬉しかつたのだ。さらにはこの当時は原律子の漫画などに出てくる「なんちやつて正かなづかひ」に嫌悪を感じ、読みながらいちいち添削(!)してゐた。

彼らが正かなでブログや個人サイトを運営してゐることと、「正しいHTML」や「正しいCSS」、はたまたはてなダイアリーのキーワードを整然と秩序立てるのにこだはること(形式的な「正しさ」に固執してをり、かつ形式的かつ個人的な「正しさ」が、セカイ全体の「正しさ」と直結すると無邪気にも*2確信してゐること)には、何かしら関係がありさうな気がしてならない。原稿を遅らせまくつてゐるいま、あまり踏み込んだ分析はできないのだが。

ちなみにオレはワープロやパソコンを使ふやうになつてから、正かなや正字で文章を書かなくなつた。なぜなら手書きであれば法則を丸暗記すれば、正かなづかひでも現代的かなづかひでも同じスピードで文章が書けるのに、ワープロやパソコンであれば現代的かなづかひのはうがはるかに楽だからである。「こつちのはうが楽で便利ぢやん」と気づいて、それまでのこだはりが馬鹿らしくなるのが、ひとが中二病から解放(むしろ「快方」ちふか)される瞬間なのかもね。

*1:たとえば「正かなづかひ」を「旧かなづかひ」と表記するだけで怒つちやふひととかね。

*2:少なくともオレには無邪気にしか感じられない。