「筆者」語り

物は言いよう

物は言いよう



面白かったのだが、「実用書」としてはどうなのだろう。この本を読んで真面目に反省するのは根が善良なひとだけで、小泉純一郎石原慎太郎(および彼らを支持するひとびと)は「最近は元気な女性論客が増えましたなあ、わっははは」と笑って済ませる気がする。そういう構造自体が問題なのだ、とは判っているし、そういうひとには遠回しな皮肉や当てこすりでは通用しないと思ったからこそ、あの斎藤美奈子があえて「実用書」を書いたのだろうけど。

ちなみに『物は言いよう』には東浩紀や326が「僕/ボク」を濫用するのをからかい気味に取り上げた、番外編的な文章がある。この回は雑誌初出時から印象に残っており、単行本では「これがどうも男性の書き手をかなり抑圧してしまった」という「後日談」が紹介されている。エッセイや批評を書いている男性の書き手は、一人称に何を選んだからいいのか、悩んでいるようだ。

そんなひとには、「筆者」をお勧めしたい。「筆者」が正確な意味での一人称なのかどうかはともかく、真面目なことを書くにもふざけたことを書くにも向いていて、読み手に書き手の年齢や性別をあまり意識させず、「自分語り」の暑苦しさを避けられるという一石三鳥的な効果がある。特にパソコン雑誌の記事のように記述に客観性が求められる文章に、主観的な意見や感想を差し挟みたくなったとき、「筆者」は効果を発揮する。ただしウェブ日記の一人称には、使わないほうがいいだろう。偉そうな感じがするからだ。多くの商業的な媒体で「筆者」を使ってきた筆者が言うのだから、間違いない。