楽譜とレコード

実家の蔵書から引っ張り出した岩城宏之『楽譜の風景』(ISBN:4004202507)を読む。大学生のころは、「指揮者って、こんなところにこだわっているのか」と素朴なレベルで楽しんだのだが、いまでは「『録音』ではなく『楽譜』こそが唯一真性なオリジナルである、クラシックというジャンル」をめぐるドキュメンタリーとして読める。たとえば著作権の保護期限がすぎていない作曲家の総譜やパート譜を写譜すると、著作権法違反になること。ただし作曲家自身の自筆の楽譜(のコピー)であれば、ある程度は自由に使ってもいいこと。指揮者と作曲家のあいだに個人的な信頼関係が結ばれていれば、指揮者に譜面がプレゼントされることがあること。これらはポップ・ミュージックの愛好家からすれば、ちょっと異様な光景かもしれない。

別の本に書いてあったことだが、吉田秀和は実家が空襲にあったとき、レコードではなく、楽譜を持って逃げ惑った。なぜなら楽譜のほうが「音楽そのもの」に近いように感じられたからだそうだ。しかしいま、実家が火事で焼けたとき、YMOのレア版ではなく、YMOの譜面を持ち出すYMOファンはいないだろう。ほかのミュージシャンやバンドについても同様。そのそも譜面をコレクションしているポップ・ミュージックのファンなど、バンド少年を除けばいないだろう。