「くん」付け

面識のないひとやあまり親しくないひとを、「くん」付けにしている文章を読むと、なぜここまで不愉快になるのか。たとえば林道義くんの公式サイトの「寸評」コーナーの「北田暁大くん、私の批判に答え、かつ謝罪せよ」など(8月21日付)。

毎度同じ本にばかり言及するのも芸のない話だが、斎藤環くんの『社会的ひきこもり』(ISBN:4569603785)では両親がひきこもりの息子に声を掛けるとき、「呼び捨てないし『さん』付け」が望ましく、「くん」付けは不可としている。一般論としても、母親が30歳前後の息子を「くん」付けするのは、あまり自然な光景とは思えない。

たとえ本人にそのつもりがなかったとしても、誰かを「くん」付けすると、そこにはある種の権力関係が発生する。「さん」や「氏」はそれに較べれば、ニュートラルだ。誰かの発言をニュートラルに批評したいのであれば、「くん」付けは避けたほうが無難だろう*1

ちなみにオレはウェブ上で発表した文章はともかく、実生活で誰かを「くん」付けしたことがない。たとえ相手が子供であっても、だ。どうしても恥ずかしいし、照れ臭いのだよ。

*1:小林秀雄くんの文芸評論では、新人作家を「くん」付けにしているものがあったと記憶するが、これはまさしく小林くんが「ニュートラルな批評」などする気がなかったことの証座だろう。