百合烏賊

『ユリイカ』8月号「総特集:文学賞AtoZ」を買う。「アンケート 文学賞に一言」を読み、ちょっとうんざりする。文学者や人文系の研究者はこの手のアンケートに真面目に答えるのを「恥ずかしい」と思うのか、編集部の意向をわざと無視した回答を書く傾向がある(最近の『ユリイカ』では、「論文作法」特集がそうだ。このアンケートで繰り広げられる推敲ゼロの「自分語り」の洪水には、さすがに付き合いきれなかった)。しかしそうしたポーズが、いまでは「恥ずかしい」。

そんななか、「もし、あなたが主催者として文学賞を新設するとしたら、どのような賞をつくりますか?」という質問に対して、「文芸批評家だけが選ぶ文学賞」の設立を1ページも費やして語ってしまう奥泉光は見事に浮いている。同号に掲載された「この問題(引用者註:文学賞の選考委員の心得)を現在もっとも真摯に追求しているのが、文學界新人賞における奥泉光選考委員である」(栗原裕一郎「新人賞選評一気読み(ただし十年分)」)という文章を事前に読んだのではないかと邪推したくもなるではないか。これにひきかえ、「そんなことは考えたこともない。私はただ、小説を書くだけだ」という小川洋子の「編集部の意向を否定するようなひねくれたことを書こうとしつつ、結局は素朴な決意表明をしてしまう回答」は、あまりにもナイーブだ。

要するにオレは「天然」なのか秀才なのか判然としない奥泉光の作品や発言を、かなり信頼しているのだ。エンターテインメント色の強い作風に転じつつあるせいか、本格的な批評の対象になる機会が少ないのは、いかにも口惜しい。あるいはきちんと編集部の意図に沿った文章を書く「ライター」的な感受性ゆえに、軽く見られているのかもしれない。