穢れと恐怖

大袈裟な小見出しだよな。

最近、「4人の食卓」という韓国のホラー映画を観てきた宿主に、「アメリカのホラーはそれほど怖くないのに、アジアのホラーは本当に怖い」と言われる。ホラーにかぎらず、映画全般にお世辞にも詳しいとは言えないオレだが、これは「恐怖」の捉えかたが異なっているからかもしれない。多くのアメリカ人にとって、恐怖は「外部から襲ってくる」のだろう。それに対してアジア人にとって、恐怖は「内側に巣食う」のだ。

これに関連してふと思い出したのだが、オレは下着や靴下やタオルなど、自分の肌に直接触れる衣類は、こまめに洗濯しないと気持ちが悪くて仕方がない。逆にセーターやジャケットなど、肌に触れない衣類は、しばらく洗濯しなくても平気なのだ。すわなちオレは自分の身体から滲み出る汚れには敏感だが、外気の汚れには鈍感なことになる*1アラン・コルバンの『匂いの歴史』[amazon]なんかを読むかぎりでは、ある時期までのフランス人の「汚れ」観は、オレとは正反対だったような気がする。

*1:そもそも外気が「汚れている」という感覚が、オレにはよく判らない。