ページをめくる

波状言論」が送られてくる。噂には聞いていたが、長い。ここまで長いと、さすがにプリントアウトしなければきちんと読む気になれない。

ディスプレイで長文を読むのが苦痛なのは、そこに「ページ」という概念がないからだろう。われわれは「全部で何ページぐらいの文章なのか」が事前に把握できないと、その文章をどの程度のテンションを保ちながら読めばいいのか判らなくなる。まったく同じ内容の文章でも、独立した短篇小説だと思って読む場合と、長編小説の一部だと思って読む場合では、集中の度合いはあきらかに異なる。そして「ページをめくる」という行為によって、読書には一定のリズムが生まれる(あ、いま判った。オレが雑誌のコラムを読むのが苦手で、だいたい途中で飽きてしまうのは、「ページをめくれない」からだ。視線がさまよっちゃうんだよね、判型が大きい雑誌だと特に)。ブラウザやエディタをひたすらスクロールさせながら文章を読むのは、巻物をくるくると巻きながら「源氏」を読んでいた平安人の読書スタイルに近いわけで、優雅といえば優雅だが、やはり不便である。

昨日取り上げたazurというソフトは、単に「縦書きで表示できる」だけではなく、「ページがめくれる」という点でも、いろいろな可能性があると思う。テキストデータがメインのサイトなら、青空文庫以外でも使えるようなので。