アディクション?

昨日の「作業と仕事」の話をもう少し引っ張るが、いい意味で仕事に「ハマって」いるときのオレは、そこに「自分らしさ」が表現されているかなど、まったく気にならないし、その仕事によってどのくらいの報酬が得られるかは、さらに気にならなくなる。ただ仕事をしているだけで、大変に愉快で痛快な心持ちになれるのだ。

こうした精神状態は、あるいは東浩紀大澤真幸との共著『自由を考える[amazon]で、


なるほど、ハッカーたちは、二〇時間、三〇時間続けてプログラムを書いてるのが「楽しい」のかもしれない。しかし、そもそもそのような状態を「楽しい」と感じること自体が問題なのではないか。それは薬物依存=アディクションなのではないか。(p.229)
と指摘しているものに近いのかもしれないが、文章を書いたり、音楽を作ったりといった行為は、「それをやっていること自体が楽しくなってくる」という点で多かれ少なかれアディクション的なのであり、一概に否定されるようなものではないと思う。

いや、何もいわゆる「クリエイティブ」な仕事に話を限定する必要はないだろう。「自分らしさ」のために仕事するひとも、「報酬を得る」ために仕事するひとも、仕事が何かを実現するための「手段」だと思っている点では同じ穴の何とやらであって、仕事とは「それをやっていること自体が楽しくなってくる」ものなのではないかという可能性に思い至らないかぎり、異業種に転職しようが、キャリアアップしようが、「自分らしさ」を求めて街頭に出ようが、「正直しんどい」状態から抜け出せないのではあるまいか。