批評

アマゾンから届いた菊地成孔『スペインの宇宙食』を拾い読み。それと同時併行で小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』も読んでいるのだが、学術論文的ではない「批評」の書きかたはこの80年ばかり、ほとんど変化していないのだなあ、と思ったり。濫読にもとづくペダンティズム、文学的な脚色を交えた上での(そしてそれが「脚色込み」であると読者に見抜かれているのも織り込み済みでの)、露悪的になりすぎない私生活の切り売り、唐突に訪れる非論理的な(しかし感覚的には納得できなくもない)断定。あまり他人の文章を引用しない点も似ている。

こう書くと批判しているように思われるかもしれないが、小林秀雄菊地成孔も一読者として無責任に楽しむのなら充分に面白い。でもこういう文体は自分を実際よりも頭もセンスもいい人間に見せかける上で有効な手段なので(もちろん小林秀雄菊地成孔が、「実際よりも頭もセンスもいい人間に見せかけ」ていると言いたいのではない)、あまり影響されすぎないほうがいいのではあるまいか。特に菊地成孔の文体にはいまの若いひとが思わず真似したくなるだけの魅力があるのはたしかなのだが、だからこそ安易に真似するのは危険だという気がする。