80年代

増山龍太というかたの日記の、10月7日の記述に共感してしまう。ごく一部分だけ引用。

自分が多感な学生時代の大半を過ごしたのはたしかに暦の上では「80年代」だけど、文化として語られている「80年代」にはほとんど関われていないのだ。間に合わなかったのだ。
ひとくちに「80年代」といっても前半と後半ではだいぶ時代の雰囲気が違うとは、たとえば陸這記でも指摘されていることだが、オレとしては80年代前半に「われらの時代」的な愛着を抱いている。しかし実際のところ、当時のオレは地方在住のボンクラ中学生にすぎず、「われらの時代」の空気なんて、ラジオや雑誌を通じてかすかに嗅いでいるだけにすぎなかった。そんなの、よく考えれば「われら」でも何でもない。
かといってバブルの爛熟期から90年代なかばにかけてを「われらの時代」を呼ぶのも、若いかたに申し訳ないというか、何かを詐称している気分になる。

そんなこんなで「これこそオレたちの世代のムーブメントなのだ」と熱く盛り上がれるものを持てないまま、ふと気がついたら30代になっていたのが、ニセ団塊ジュニア世代にありがちなパターンだと思うのだが、どんなものだろう。ま、世代論がどうこうとは関係なく、単に自分が東京生まれではなかったことを、オレが勝手に僻んでいるだけなのかもしれないが。

ところでこの日記、水筒日記のコメント欄で偶然知ったのだが、読書や音楽の趣味がオレと妙にシンクロしていて、くすぐったい気分になる。YMOがきっかけで音楽に目醒め、娯楽小説なら新本格周辺の推理小説、純文学なら太宰治高橋源一郎を愛読しているのは、ありがちなパターンなのかもしれないが、それにしても他人のような気がしない。と思って、過去ログを漁っていたら、知り合いの知り合いであることが判明。しかも上記引用文も、オレが寄稿した雑誌に関する感想だったりするわけで、世間は狭いというか何というか。