とりとめもなく

オレは仕事がら、CCCDリッピングP2Pソフトに関する原稿を書くこともあるわけで、そういう原稿にはもちろん「悪用厳禁」みたいなただし書きは入れるのだけど、でも結局のところは違法コピーを煽っていることには変わりはなく(少なくとも読者のニーズはそこにある)、そうして他人の著作物をただで手に入れる手段を指南しておきながら自分はちゃっかり印税や原稿料をもらうのにある種のやましさを感じたりもするのだが、だからといって原稿料の受け取りを拒否するほどの確固たる信念があるのでもなく、しかし何らかのやましさを感じることそのものは重要ではないかとも思い、しかしこういうエクスキューズで自分の理想と現実のあいだにほどよい折り合いを付けよて何事かを判ったかのようなポーズを取るのは中年初期の男性特有の嫌らしさという感じがしなくもなく、まあ、何が言いたいのかと言うと、ある種のクラシック音楽ファンは複製不可能(タテマエとしては)なCCCDというメディアを「複製芸術におけるアウラの復活」として肯定的に受け止めているのではないかという現実味の乏しい妄想なのであった。