ファン

柄谷行人がむかし、「思想的に転向することより、阪神ファンが巨人ファンになることのほうが難しい。なぜならファンであることには根拠がなく、根拠のない思い込みぐらい変えるのが難しいものはないからだ」といったことを書いていたのを、今日の日本シリーズを観戦していて唐突に思い出す。オレはプロ野球に関しては、これといった支持球団を持ったことがない。持とうとはするのだが、いつも挫折するのだ。「ファンであろう」と一所懸命に演じている自分に嘘臭さを感じて、途中で馬鹿馬鹿しくなるというか。こうも挫折するのはオレが特定の球団のファンであることに、「根拠」を求めてきたからなのだろう。その点、「地元」は素晴らしい。「なぜファンなのか」と問うて、「地元だから」と返されれば、「はあ、そうですか」と引き下がるしかない。こういうシンプルで無根拠な思い込みを抱いている人間のほうが、最終的には強いのだ。阪神のピッチャーがストライクを決めるたびに、優勝を決めたのかと思うぐらいどよめく甲子園の観客を見ると、そう思わずにはいられないのだよ。