民主的であること

『ジェノサイドの丘』[amazon]読了。アフリカの大自然やアフリカの伝統芸術を讃美する人間は多い。しかしアフリカの政治を誉める人間はほとんどいない。アフリカ諸国の大統領はネルソン・マンデラを例外として、民衆を搾取することしか頭にない独裁者であり、革命やクー・デタが何度起ころうともこの構図は変わらない。われわれは何となくそのように信じ込んでいる(マンデラの次に有名なアフリカの政治家がイディ・アミンであることが、それを象徴している)。

しかし本書ではルワンダのカガメ副大統領(現大統領)やウガンダのムセヴィニ大統領は、明晰な頭脳と高い実行力を誇り、論理的にみずからの政治姿勢を語ることができる存在として描かれている。彼らのやりかたは先進国から見れば、少々荒っぽい感じがしなくもない(それゆえに批難する者もいる)。

だがルワンダウガンダのように荒廃しきった国では、強力なリーダーシップを持った政治家があえて「民主的」な手続きをすっ飛ばし、強引にことを進めるのもまた必要なのではなかろうか。民主主義はたしかによい制度だが、いかなる国においても有効に機能するとはかぎらない。そして「独裁者」が一律に悪いともかぎらない。われわれはアフリカの政治に介入するとき、「よい独裁者」と「悪い独裁者」を冷静に見極めなければならない(自分の体制を維持するためだけに、形だけの複数政党制を導入する「民主的」な独裁者も、かの大陸にはいるのだ)。

しかし「アフリカにもまともな政治家がいる」なんてことを、つい数日前まで知らなかったオレは何なのか。