深夜特急

昼間は宿主が土曜の晩に買ってきた沢木耕太郎深夜特急』(新潮文庫)を手に取り、とりあえず自分が行ったことのある国や興味のある国に関する記述を拾い読みする。

そして夜半から「こりゃ、ちゃんと腰を据えて読まないと」と襟元をただし、第1巻から丁寧に読み始める。第2巻第1章の終わり(「私」がバンコクに倦み、シンガポール行きを決意するところ)まで読み進む。

深夜特急』も『風と木の詩』と同じく、「安易に影響されちゃいそうだから意識的に遠ざけてきた書物」なのだが、やはり安易に影響されてしまう。20代前半で読んでいたらどうなっていたことか、見当も付かない。これに感化されたバックパッカーが多数いるのもむべなるかな。

まず何よりも文章がいい。オレがルポルタージュやノンフィクションの類を読む気になれないのは、何もよりも文章が駄目すぎるからなのだが、これなら及第点。ま、「クサい」文章ではあるのだが。

それから「私」が「アート」にはさっぱり無関心なのも、高評価の理由であろう。「私」はその国の古寺名刹や美術館にはほとんど足を向けず、安いホテルに泊まること、食べること、呑むこと、露店でガラクタを買うことに情熱を注ぐ。そもそもユーラシア大陸放浪のきっかけになった本が、小田実の『何でも見てやろう』だというのが痛快ではないか。金子光晴の紀行文にいたっては、実際に旅に出てからはじめてその存在を知ったらしい。「私」がかかる形而下的な旅人であることこそが、逆説的にこの作品の「文学的価値」を高めているのであるのことよ。