詩学

ユリイカ 6月号 特集:Jポップの詩学」(青土社)を購入。「Jポップを聴くと馬鹿になる」というが初読の感想。文学や美術といったジャンルに関してはそれなりに鋭いことを言っているひとでも、Jポップを論じるとなると、急に陳腐なことを言い出してしまうからだ。文芸評論の世界では、いまどき「主人公の意見」と「作者の意見」を素朴に結びつけるような議論はまともに相手にされない。「ユリイカ」に寄稿するようなひとなら、その程度のことは「常識」として押さえているはずだ。にもかかわらずJポップの歌詞を語るとなると、「椎名林檎の音楽は椎名林檎の人生の反映である」的な言説がまかり通ってしまうのだ。それはなぜか。

増田聡「誰が誰に語るのか」はポピュラー音楽の歌詞は作詞者の意図、歌い手の意図、歌詞のなかの作中人物の意図、プロデューサーの意図その他が渾然となった重層的な世界であり、「ホントウのこと」を一意的に同定することはできないと指摘している。なるほどそれなら、せいぜい「主人公」と「作者」の違いにさえ気を配っていればよかった文芸評論の方法論が、Jポップ分析では通用しなくなるのも納得できる。

と、思わず真面目に語ってしまいましたが、えーと、「註」で自分の名前が出てきたときにはびっくりしました。オレも入澤康夫和田誠都築響一と肩を並べられる存在になったのだなあ、と(ひどい曲解だ)。あと「ヨーロッパ特急」のクレジットは「歌と伴奏」じゃなくて、「歌と演奏」だったかもしれません。機会があったら確認します。それから論文全体ですが、この1.5倍ぐらいの分量で「笑える具体例」がより豊富に散りばめられていたら、さらに完成度が高まったのではないのでしょうか。