渋谷系の時代

『音楽誌が書かないJポップ批評25 フリッパーズ・ギターと「渋谷系の時代」』の見本誌が届く。思い入れたっぷりの作品論よりも、ややクールな視点に立った状況論のほうが面白く読めるのは、単にこちらの嗜好の問題にすぎないか。でも思い入れ系の文章でも、その書き手でなければ得られない知見や情報が得られるものはやはり興味深く読めるし、逆に本格的な状況論を展開するには、ひとつひとつの記事の文字数が少ない憾みもある。

ともあれ単なる思い入れだけで書かれた作品論は、創刊当時の『Jポップ批評』が仮想敵としていたはずのロッキンオン・ジャパン的ディスクールにかぎりなく近づいてしまうわけで、これでは『Quick Japan』の二の舞ではないかと危惧してしまわなくもない。


いやまあ、いつもの『Jポップ批評』にも増して直接的間接的に接点のあるひとがたくさん寄稿しており、しかもそのなかの何人かは確実にこの日記を読んでいるので、奥歯にものの挟まったような書きかたしかできませんな。