銀縁と黒縁

Zoffユニクロで眼鏡とセーターとパンツを新調。この2店のセレクトにオレの経済状況が反映されているが、まあ、どうでもよろしい。これまでフォーマルな場ではメタルフレームの銀縁の眼鏡(糸色望先生がかけているようなデザインのやつ)、日常的な場ではセルフレームの黒縁の眼鏡をかけていたのだが、後者のフレームがぽきりと折れて使い物にならなくなったので買い直したのだ。
ところでいまでは銀縁はオタクっぽくて恰好悪く、黒縁はサブカルっぽくて恰好いいというイメージが定着しているが、これはいつごろからなのだろうか。池田勇人は首相になったとき、インテリ臭い雰囲気で庶民に反感を持たれるのを避けるため、眼鏡を黒縁から銀縁に変えるように助言されたそうだ(沢木耕太郎の『危機の宰相』に該当箇所があるはずだが、見付からない。本に付箋を貼る習慣がないと、こういうときに困る)。そのつもりでむかしの文学者の写真を確認すると、たしかに黒縁派が圧倒的多数を占めている。
なお最強の黒縁文学者が澁澤龍彦であるのは言うまでもない。

追記

そういえば保守系の政治家でセルフレームの黒縁眼鏡をかけているやつは、あまりいない感じがする。

安吾と眼鏡

文学者と眼鏡といえば、前から坂口安吾のことが気になっている。旧制新潟中学時代の安吾は急速に視力が悪化し、最前列に座っても黒板の字がまともに読めないようになり、成績が低下、放校処分になるのを避けるために東京の中学に編入学した、と多くの年譜には書いてある。しかし父親の代で家が傾きかけていたとはいえ、かつては大富豪であった坂口家に、息子に眼鏡を買い与えるだけの経済的余裕すらなかったとは考えにくい。その証拠に東京に越してからの安吾の写真を見ると、まだろくな収入がなかった時代からきちんと眼鏡をかけている。本人は「私の母は眼鏡を買つてくれなかつた」と書いているが、これはただの弁明で、故郷と生家の呪縛から逃れるために、意図的に眼鏡をかけるのを拒否したのではないのだろうか。