日本海の向こう

「経済的に余裕が出たら、新潟空港からから直行便が出ている海外の街・国を旅したい」と唐突に思う。具体的には、
http://www.niigata-airport.gr.jp/timetabele/timetable1.html
を参照のこと。「南国のリゾート」にはさほど惹かれないオレにとって妥当な選択肢はソウルなのだろう。しかし中国やロシアに漠然とした憧れを抱いているので(子供ころから日本海を眺めて、『この海を渡っていけば中国やソ連(当時)に行けるのか』と空想に耽っていたのである)、上海、ハルビンウラジオストクハバロフスクという選択肢も捨てがたい。しかし上海ならともかく、それ以外の街では英語も日本語もほとんど通じないのではないかという不安がある。そしてGoogleで検索したら、ウラジオストクハバロフスクには売買春が目当てで訪れる観光客が多いのを知る。そして次のようなパック旅行も見付けた。
http://www.frontier.co.jp/escortvladivostok.htm
「モデルは売春婦ではありません、勘違いしないようお願いします」とことわってはいるものの、どうにも言い訳めいている気がしてならない。
だが、だからこそ行ってみたいという気がする。オレは売買春には強い忌避感を抱いているが、これが「割に合わない」という経済的な理由なのか、それとも倫理的な理由なのか、確認したいという気持ちがある。しかしそんな理由で海外に行ったのでは、付き合わされる向こうにとってもいい迷惑だ、と思わなくはない。

穴倉みたいなロック・フェス?

ロック・フェスティバル - 西田浩
http://book.asahi.com/shinsho/TKY200708270155.html
この記事を書いた青木るえかという女性に対しては、「どこかで名前を聞いたな」くらいの知識しか持っていない。はてなダイアリーキーワードによれば、「白洲正子町田康立川談志、落語、プロレスが嫌い」だそうで、首尾一貫しているようないないような印象を受ける。
そんなことはともあれ、

 この『ロック・フェスティバル』で、第一回「フジ・ロック」が風雨でメチャクチャになった時の話なんか読んでいると、「これこそロックの混沌」とドキドキさせられた。しかし翌年からは整然と、ほとんどトラブルもなく行われているようだ。もちろんそれはいいことだ。

という一節に対しては、ふだんは「リアルタイムで知っているからといって、当事者だからといって偉そうにするな」と叫んでいるオレでさえ、「あんたは実際に参加していないからそんなことが書けるんだ」と言いたくなる。浸水してほとんどテントとしての機能を果たさなくなりつつあるテントのなかで軽い喘息の発作を起こし、気管支拡張剤を片手に「このままではオレは明日の朝を迎えることはできないかもな」と本気で思ったものである。mixiでは「第一回フジロック経験者」というコミュニティーがあり、「戦争体験を風化させない会」のような調子で、おたがいが語り合い、反省している。たとえば村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで、「『これこそ本当のテロリズム』とドキドキさせられた」なんてことを書いたら、抗議の電話が編集部に殺到するだろう。
他分野では「悪夢」「惨事」として語られる事件が、なぜ文化や芸術に関しては「美談」「伝説」として神話化されがちなのだろう。スポーツではドーピングは重要なルール違反とされているのに、薬物依存症は文学・芸術では免責されるのか。どうにも釈然としない。かといって薬物依存症に陥った文学者からは、一切の文学的名誉を剥奪すべきである、とは思わないのだが。