1989年1月7日に流れた音楽

大学生のとき、オレが図書館にこもってむかしの新聞の縮刷版を読むのを趣味にしていたのは以前も書いたが、一度だけ呆れ果てつつも吹き出しそうになったことがある。それは1989年1月7日夕刊のテレビ欄である。この日が昭和天皇(いや、この時点では大行天皇か)の命日で、テレビでは娯楽番組やCMが放送されなかったのは有名だろう。それでは何が放送されたかというと、バッハ「ロ短調ミサ曲」、マーラー「第九交響曲」、ワーグナートリスタンとイゾルデ」の「愛の死」といったところである。長い曲が多いのは、スイッチングが面倒くさいという怠惰が理由だろう。
この選曲は素晴らしい。素晴らしすぎる。敬虔なプロテスタントが作ったミサ曲や、世俗的な理由からユダヤ教からカトリックに鞍替えした男の遺作は、かつては国家神道の担い手とされ、戦後もキリスト教を嫌っていた(らしい)人物の追悼音楽として、まるでふさわしくない。「トリスタンとイゾルデ」にいたっては、おポンチな心中話である。テレビ局の連中は曲の背景など理解せず、「何となく荘厳な感じの曲さえ流しておけばいいだろう」と安易に考えていたのだろう。
ある民放テレビ局がクリスマスイヴにバッハの「マタイ受難曲」を放送したのを耳にして、「やった!」と感じた柴田南雄は(「キリスト教で年間もっとも大きな喜びの日、信者たちが『おめでとう』を挨拶がわりにする日に、最大の悲しみの音楽をオン・エアするとは」)、この日もやはり「やった!」と感じたのかもしれない。しかしさすがに「不敬」と思ったのか、この件に触れたエッセイはない。柴田のみならず、クラシック音楽の専門家ならこの日の選曲に疑問を持ったはずだが、オレの知るかぎりでは誰も公の場では発言していない。
あと少し悔しかったのは、朝刊では「N響アワー」のプログラムに組み込まれていなかった(別の曲が演奏される予定だった)ヴェーベルン編曲のバッハ「六声のリチェルカーレ」が夕刊には載っていたことだ。これはオレもひそかに、自分の葬式で流したいと思っていた曲である(島田雅彦も似たようなことを書いていた記憶がある)。まさか「髭 眼鏡 猫脊の彼」(中野重治)に先を越されてしまうとは!
ともあれクラシック音楽と日本人、キリスト教と日本人の関係なんてのは、所詮はこの程度のものなのだなあ、とつくづく思い知らされる日である。昭和天皇というか大行天皇が死んだころはクラシック音楽に興味がなかったオレだが、もし興味があったら、ますます上の感を強くしていただろう。