小沢健二の尊師化?

先月の15日に小沢健二日本社会臨床学会*1で学習会を開いたのを思い出し、そのときの反応をネットで検索する。学会側からの口止めでもあったのか、これといったレポートは上がっていない。しかし何となく「嫌な感じ」のするページを発見する。
毎月の環境学会〜『うさぎ!』と『毎日の環境学 Ecology of Everyday Life』
http://homepage2.nifty.com/ozakit/ecologyofeverydaylife.html
月報にゲスト寄稿しているのが、かつて『Quick Japan』で小沢健二に関する妄想(批評にあらず。オレの書いているものだって大差ないが。ポピュラー音楽を論じるのにふさわしい語彙と方法論を、オレはいまだに獲得していない)を書き散らしていた連中ばかりではないか。
併設されている掲示板(閑散としている)やmixiのコミュニティを読んでも、何やら小沢健二の作品を「聖典」として崇めたてまつらんとする雰囲気が伝わってくる。かならずしもアカデミックな分野で活躍しているわけではなく、かといって実社会に影響を与えるわけでもない場で、小さなグルとして君臨しているのが、いまの小沢健二なのだろうか。だとしたらげに悲しきことなり。

*1:ところでこれは何の学会なのだろう。公式サイトを見ても、趣旨や具体的な活動内容が判りづらい。

憧れのサラリーマン生活

肉食獣のテーブルマナー (ドラコミックス 130)

肉食獣のテーブルマナー (ドラコミックス 130)

中短篇集。ややネタバレになるが、真性のゲイと真性の二次元オタクのすれ違いをコミカルに描いた「ここだけのハナシ」が楽しい。アルバイトを含めても「会社勤め」を2年くらいしか経験したことがなく、しかもそれが午後出勤・私服通勤が当たり前の業界だったため、ふつうのサラリーマン生活を描いた漫画には憧れを抱いてしまうのだ。西田東を好むのも同じ理由だろう。一種のオリエンタリズムか。かといって「ビジネスマン」向けの処世訓じみた漫画は読む気にはなれないし、源氏鶏太を読む気にもなれないのだが。いや、源氏鶏太は読めば意外と面白そうな気がするが。