ホンモノ

美術をめぐるスキャンダルが絶えないのは、「ホンモノ」がひとつしかなく、かつ専門家だけではなく、一般の愛好家までもが「ホンモノ」を求め、それゆえに「ホンモノ」を得るために莫大な金銭が動くからだろう。そんなことを言えばモーツァルトの自筆楽譜や三島由紀夫の自筆原稿だって「ホンモノ」はひとつしかないわけだが、われわれのほとんどはドイツ・グラモフォンによって複製された『フィガロの結婚』や、新潮社によって複製された『豊饒の海』で満足しており、「ホンモノ」に何やら特権的なアウラがあるわけではない。さらにはたとえ「ホンモノ」であっても、専門家のお墨付きがなければ価値が伝わりづらい作品があることも事態をややこしくしている。
この本の著者は美術の専門家ではなく、「平凡パンチ」や「ダ・カーポ」などの編集者として活躍した人物。ゆえに文章はきわめてリーダブルで、視線も一般の愛好家に近い。難を言えばそれだけで単行本が1冊できるだけの大事件の説明を10数ページでまとめている点だが、もとより教養系の新書とはそうしたものなので、これはないものねだりでしかない。

アブストラクト

ユナイテッド・シネマとしまえんで「ハチミツとクローバー」を鑑賞。あらゆる問題に関して自分とは肌に合わない意見を吐く人物が盲目的に褒めているのにうんざりして、原作となった漫画は読んでいない。以下の感想は原作を知らず、映画だけを観た人間の書いたものである。
まず時代を感じたのは、天才的な才能の持ち主であるヒロインが、意識的に抽象画しか描かないこと。これが30年前であれば、単なるエキセントリックな少女として片付けられていたであろう。いつからこの国は抽象画に寛容になったのだ。抽象画がOKであれば、ドデカフォニズムも見逃してほしい。いや、これは余談である。さらにはこの絵を実際に描いたのは誰なのか。エンディングロールにも公式サイトにも、これといった記載はなかった。映画や漫画で登場人物が実際に作った(という設定の)「上手い絵」を見せるのは、存外に難しい。作曲家と演奏家が分離した音楽の世界であれば、実在のオーケストラやピアニストなりを登場させるか、ライセンス管理団体を通して市販のCDを使えば、この問題は解決されるのだが。
肝腎の映画本篇が、これがなかなかよろしい。舞台を一般の大学ではなく、美術大学にしたことにちゃんと必然性がある。登場人物がいずれも性的に潔癖すぎる憾みはあるが。