新書戦争加熱

yskszk2006-08-16

近所の書店に行ったら(という書き出しに飽きてきたひとも、そろそろいるだろう)、丸の内とら『いちばんやさしいJava入門』という本が目に付く。タイトルだけなら何てこともないのだが、新書サイズなのが珍しい。しかも7センチのCD-ROM付き。いったいどこが出しているのかと版元を調べたら、技術評論社であった。その名も「技評SE新書」そういや、先々月あたりに技評の編集者から「うちも新書を出すことに決めたんですよ」という話を聞いたことがあった。まさかここまでストロング・スタイルの技術書を新書で出すとは思わなかったよ。

いちばんやさしい Java入門 (技評SE新書 004)

いちばんやさしい Java入門 (技評SE新書 004)

「な」

帰省であり帰京でもあり、オレが真に「帰る」場所は果たしてどこなのか。ともあれ上りの新幹線で『日本語の森を歩いて』(ISBN:4061498002)読了。オレは時制よりも終助詞や前置詞に興味があるのだな*1

――端的に言えば、フランス語ではつねに文の主語を明示しなければならないのに、日本語では主語なしでも言表として成立するということかな。発話者間の関係が言表を支えていることがはっきり見えると言ってもいい。まあ、そういうことをもって「日本語は論理的ではない」とばかなことを言う人もいるけどね。
――論理的でなかったら、コミュニケーションできるわけないのに、暗示的指示か明示的指示かの違いを論理的・非論理的などと言う人のほうがよほど非論理的ですね。日本語は発話空間の諸要素をつねに述定関係のレベルに明示的に組み込む必要がないというだけね。発話者間ではちゃんと論理が通じている。

*1:なお「な」は「共話者との関係が考慮されないような」「ほとんど自分自身に言い聞かせているニュアンス」がある終助詞だそうだ。