会田誠、野田凪
HALCALIの「音樂ノススメ」(ASIN:B000666RB4)のジャケットが、2ちゃんねる上でちょっとした論争を起こしているのを知る。
「あぜ道/ハルカリ」パクリ論争 会田VS野田
さらにはハルカリ「音ノススメ」と会田誠「あぜ道」やハルカリのジャケって会田誠の「あぜ道」じゃないの?など、2ちゃんねるだけではなく、各種のブログでも話題になっていたようだ。というか、オレの日記のコメント欄でも、一瞬だけ話題になっていた。論争の賞味期限など1ヶ月弱ですぎてしまうネット上で、去年の12月上旬にはじまった議論を蒸し返すのも気恥ずかしい話ではあるのだが、擁護派と批判派が入り乱れて訳の判らないことになりがちなパクリ論争にしては珍しく、この件に関しては会田誠に同情する声が圧倒的に多数で、野田凪を擁護する声はあまりない。この点、オレンジレンジ糾弾大会と似ていなくもない。
会田誠、東山魁夷
言うまでもないが野田凪によって模倣された会田誠の「あぜ道」は、東山魁夷の「道」のパスティーシュである。しかし「言わずもがな」だからなのか、それもと単に知られていないのか、上記のリンク先で東山作品に言及している発言はほとんどない。もし「ファインアートのひとがファインアートのひとを模倣するのは『批評的営為』だけど、商業デザインのひとがファインアートのひとを模倣するのは『パクリ』でしかない」といったある種の選民意識があるのだとしたら、あまり気持ちのいい話ではないし、会田誠についてもっともらしいことを滔々と語っているひとが東山魁夷を知らないとしたら、それはさらに問題だろう。歴史感覚の欠如。
http://d.hatena.ne.jp/yskszk/comment?date=20050106#cでも判るように、ハルカリのジャケットを担当した野田凪は、その「天然」ぶりが以前から問題になっていたようで、商業デザイナー一般の問題と、野田凪固有の問題は別個のものとして考えたほうがいいかもしれない。
と、結論らしい結論もないまま、思い付いたことをつらつらと書き連ねてしまった。いまは風邪を引いて頭が呆としているので、ブリリアントな解釈なんて思いつけそうにない。