中年の仕事?

このところ10代後半から20代半ばのひとが運営している個人サイトを読んでいて、息苦しい気分になることが多い。たしかに彼らはいろいろなものを知っており、いろいろなことを考えている。しかしどうにも「それしか知らない」、「それしか考えていない」気がするのだ。文章に幅が感じられないというか。もう少しふくらみやゆとりがあり、かつ「ネタ」的ではない文章を書いてもいいのではないか。オレ自身が20代のころに書いていたウェブ日記だって似たようなものなので(いまでも大して変わらんか)、偉そうなことは言えないが。

柄谷行人が『反文学論』で「小説を書くのは『中年』の仕事である」と書いていたが、ウェブ日記もあるいはそうなのかもしれないね。

単調

アマゾンで注文したエイフェックス・ツインクラフトワークのアルバムが届く。どちらも収録時間がやたらと長いので、なかなか全曲通して聴く気になれない。

それにしてもクラフトワークの変わり映えのなさというか、「変わるつもりのなさ」はすごい。かつて赤瀬川原平がクリストを「そんなに同じことばかりやっていて楽しいのか」と皮肉っていたが、細野晴臣坂本龍一がこのアルバムを聴いたら、同じ言葉を漏らすであろう。高速道路、特急電車、自転車と、取り上げるテーマにそもそも変化がない。

オレがフランスを訪れたのはいまから10数年前だが、日本では考えられないくらい単調な田園風景にはだいぶ驚かされた。何しろ地平線のはるか彼方まで、まーったく同じ風景が延々々々と続いているのだ。ドイツの田舎もおそらく似たような感じなのだろう。ああいうミニマルな風景のなかで暮らしていると、何かが「変化」すること自体が信じられなくなるのではないか。日本のアバンギャルド芸術家がせわしなく作風を変えがちなのは、この国の変化に富んだ気候風土と関係があるような気がする。まあ、赤瀬川原平も言うように、何をやってもカネにならないから何でもやっちゃう、という側面もあるのだろうが。