あれから19年

昭和が終わった日のことはよく覚えていないが、平成が始まった日のことは覚えている。一日遅れの思い出話だが、書きたくなったので書く。
1970年12月28日に生まれたオレは高校3年生で、いわゆる進学校に通っていた。頭のなかは大学受験で一杯、というのは嘘で、大学受験というtravailから逃れるのに一杯であった。とにかく文学書を読み耽ることしか、当時のオレに熱中できることはなかった。しかし両親の手前もあって新潟駅前にある代々木ゼミナールの冬期講習には通っていたが、まったく授業は聞いていなかった。このような状態でオレのような劣等頭脳の持ち主が、滑り止めで受けた無名校にしか合格できなかったのも、むべなるかな。
そして代ゼミからの帰路、駅前の電光掲示板に何気なく眼をやったところ、新元号が「平成」に決まったというニュース速報が流れた。その瞬間に気が抜けたのははっきりと覚えている。あまりにも凡庸で威厳のない字面だったからだ。「筒井康隆のエッセイが連載されている」というだけの理由で『噂の眞相』を読むようなったオレは、思い切り影響を受けて昭和天皇にも天皇制にも敬意やら崇拝やらを感じなくなった*1。しかしもう少し年号らしい年号が付けられないかと思ったのだ。
「平成が始まった日」というとオレと同世代の人間は、小渕恵三が墨書を掲げた映像を思い浮かべるだろうが、オレにとっては何とあっても新潟駅前の電光掲示板なのである。
今日の日記はこれでおしまい。

*1:こうした「影響されやすさ」を示す的確な単語はないのだろうか。ちょうど「攻撃されやすさ」を示す単語としてヴァルネラビリティーがあるように。