幸福な作家

上はジャズの菊地成孔(1963年生)から下はライトノベル作家ヤマグチノボル(1972年)あたりまでを大雑把に「ツツイ世代」と呼びたい。彼らが書いていた(いる)ウェブ日記を読むと、筒井康隆の文体からの影響があからさまだからだ。そして雑誌のインタビューなどで実際に「若いころは筒井ファンだった」と発言していて、「やっぱりそうだったのか」とちょっとにやりとしてしまう。この世代のサブカルチャー系知識人に彼が与えた影響の大きさは、もっと検討されるべきだろう。
そしてオレが筒井康隆を「幸福な作家」だと思うのは、作風をどんどん先鋭化させ、「お前ら、これに付いてこられるか」とファンを挑発したことだ。これは「自分の小説は中学生が読んで、あとは『卒業』されるものだ」という諦念とともに、作品の完成度を上げるためではなく、時代遅れになった言い回しを修正するために自作を改訂しながら生きてきた星新一に較べると、はるかに幸福ではないか。
たとえばオレはカルペンティエールの『バロック協奏曲』を読んで、「あ、筒井の『ジャズ大名』はこれがやりたかったのか」と気付いた。これは単に元ネタが判ったというだけの話だが、筒井作品に教育されることで、ヨーロッパや中南米の前衛文学を読むための基礎が生まれのはたしかだ。このような作風の変遷があったからこそ、筒井康隆はつねに現役の作家として遇される。これはやはり幸福なことだ。

追記

なおオレも「文体や発想が似ていますね」と言われるのをちょっとは期待しているのだが、誰からもそのように言われたことがない。「ではあるまいか」の多用や、どんなに饒舌体になっても書き言葉としてのシンタックスは崩さない点など、彼から受けた影響はかなり多いのだが。ちょっと悔しくて淋しい。