あなどりがたし、NHK

NHK教育ETV特集吉田秀和の半生をたどる「言葉で奏でる音楽」を観る。あらためてNHKの映像ライブラリーの豊富さを確認。そういえば1959年にストラヴィンスキーが来日して東京と大阪でN響で自作自演したのを思い出してアマゾンで検索したところ、大阪でのコンサートが市販されているでやんの。

ストラヴィンスキー《火の鳥》自作自演 [DVD]

ストラヴィンスキー《火の鳥》自作自演 [DVD]

東京での公演に接した柴田南雄は、次のようにレポートしている。

 ところで、彼の指揮振りだが、まず誰でも気がつくのはテンポの変り目とか、楽器の入りで彼はひじょうにはっきり大きくサインする。それを見ていると、まるでスイッチのボタンをひねったり、スイッチの紐をひっぱったりするみたいである。たとえいかにピアニシモでそっと入ってくる楽器でも、それが音楽的に重要であれば、つまり彼の主観においてそれが音楽的に大きな量的変化に値するなら彼は大電力のナイフ・スイッチでも操作するかのごとくにそのモチーフをヤッコラサと導き出す。その反対に見かけ上はフォルティシモで鳴っているような箇所でも、そこにエネルギーの変化が少なく、同じように鳴りつづけているならば彼は極めて少ししか手を動かさないし、あの『ペトルシュカ』の終りに近いガンガン鳴りひびくテュッティの箇所のごときは全く手を動かすのをやめてしまう。大阪ではそこでやおら汗をふきはじめたそうだが、専門の指揮者の常識としてはちょっと考えられないことだ。
西洋音楽散歩』(青土社

こういう説明を読まされれば、ぜひとも観たくなるではないか。在庫が少ないようなので、オレより先にクリックするのは禁ずる。
残念ながらDVD化されているのは「火の鳥」だけのようだが、「ペトルーシュカ」や「春の祭典」だってNHKのどこかに残っているに違いあるまい。ああ、観たい。

追記

忘れないうちに書いておくが、吉田秀和小林秀雄の「モオツァルト」を読み、「この評論にはカデンツァがない」と感じたそうだ。吉田秀和を絶対視するにはあまりにも若い世代に属し、浅田彰細川周平を経由して柴田南雄にたどり着き、彼を頼りにクラシックのCDを渉猟するようになったオレだが、こうした適切な譬喩には「してやられる」ことが多い。
かような次第で、大学時代に愛読した著作をふたつ紹介する。

世界の指揮者 (新潮文庫)

世界の指揮者 (新潮文庫)

世界のピアニスト (新潮文庫)

世界のピアニスト (新潮文庫)