夜神家は豊島園

DEATH NOTE デスノート the Last name [DVD]

DEATH NOTE デスノート the Last name [DVD]

前篇は劇場で観たのに後篇は機会を逸していて、ようやくDVD鑑賞。なんだ、これは。結末が原作よりもはるかに整合性があって完成度が高いではないか。驚いた。いわゆる「メディア・ミックス」には懐疑的なオレだが(どうせ近代的な「作者」概念、「作品」概念にがんじがらめになっていますよ、ふん)、こういうものが登場するからあなどれない。最終的に家族愛に話が回収されるのがやや不満だが、幅広い観客にアピールするにはこうするのがベターだったのだろう。
あとはまったく個人的な理由だが、夜神家の最寄り駅が西武池袋線豊島園駅に設定されているのに驚いた。見慣れた風景なので。ユナイテッド・シネマとしまえんでこの映画を観ていたひとは、もっとぎょっとしたのではなかろうか。何しろ自分がいまいる場所から徒歩1分のところで物語が締めくくられるのだから。

アーキテクチャと心理

naoyaグループ - naoyaの日記 - 個別の公開と非公開
http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20070417/1176762932
はてなブックマークでエントリーごとに公開/非公開を設定できる機能があったらいいな、とオレは思っていた。仕事などの関係でポルノ的、アンダーグラウンド的なページをブックマークせざるをえないことがあるからだ。そしてなぜそれを実装しないのか、はてな伊藤直也)側の理由がこれでよく判った。
しかしここで気にかかるのは、アーキテクチャによってユーザーの「心理」や「行動」が制御できてしまう怖さに、伊藤氏が無自覚であるように感じられることだ。無自覚というか、無邪気というか。少なくとも文章からはそういう印象を受ける。それともこれを「怖い」と思ってしまうオレが、あまりにも近代的(19世紀的? 規律訓練的?)すぎるのだろうか。人間の感性や主義主張なんて、政治とアーキテクチャの力によって簡単に変容する。それぐらいは判っている。とりわけWeb2.0と呼ばれるIT技術の発展がこうした状況を加速させるのは当然であって、サービスを享受している以上はこれをある程度は受け入れなければならない。だがサービス開発者があっけらかんと「アーキテクチャでユーザーはコントロールできる」と発言すると、何らかのかたちで抵抗したくなるのだ。そんなに不満があったら自分でSBMを開発すればいいではないか、と言われたらそれまでなんだけどね。ううむ。