今日からオレも愛国者

最近の朝日新聞愛国心に関する特集を続けているが、今日は小熊英二の長いコメントが掲載されていた。なかば個人的なメモとして要約しておく(以下は正確な引用ではなく、オレなりの要約であることに注意するように)。

1960年代までは右派も左派も「日本は戦争の被害者だ」という意識に支えられていた。しかしベ平連が「日本は被害者であると同時に加害者でもある」という新しい視点を打ち出した。しかし戦争体験がない新左翼の学生は、「日本は加害者である」という側面ばかりを強調しすぎた。ベ平連の中心人物だった小田実は、広島での被爆体験を切々と訴える老女に向かって「そんなことはもう知っている。それよりも自分も加害者だという自覚はあるのか」と問い詰める若者を見て、いたたまれない気分になったと語っている。こうした過程を経て被害者意識を強調する右派と加害者意識を強調する左派の分裂が起こり、「愛国心」は右派の独占物となった。

『夕凪の街 桜の国』が「戦争漫画」としては異例のベストセラーになり、「蟻の兵隊」が一定の評価を得る現状は、「日本は被害者であると同時に加害者でもある」という健全(だとオレは思う)な認識が若いサブカル諸君に浸透しつつある証拠である、というのは楽観的にすぎるだろうか。
学徒動員されながら市ヶ谷の参謀本部に配属されるという、恵まれているのかいないのかよく判らない戦争体験をした中井英夫は、戦時中の日記で次のように書いている。ちなみに出典は思潮社の『中井英夫詩集』(ISBN:4783707650)。ただしこれから読もうとする読者は、『中井英夫戦中日記 彼方より 完全版』(ISBN:4309017150)か、『中井英夫全集』第8巻(ISBN:4488070205)に当たったほうがいいだろう。

 朝刊、漱石山房の応召といふみだしで、なんと漱石山房が陸軍将校の宿舎に使はれ始めてゐることを伝へた。もとよりものの本によるほか、そこの良さを私は知らぬ。漱石の文学といふものにほとんど価値はみとめてゐない。とはいへ「文人漱石」をどれだけか尊んでゐる私には、日本現代文学の一面が養はれてきたその部屋を、有体、犬と大差のない彼らの土足に汚されることだけは、世の人と共に堪へられない気持だ。彼らの暴慢の一例として、永く記憶さるべきことであらう。(1943年10月8日。当時は入営前)

日本は愛しよう。しかしいまその日本を動かす資本主義と軍国主義を私は愛さない。(1943年10月9日。同上)

畢竟するに祖国愛は、祖国の文化への愛に他ならない。文化の熱烈な擁護者だけが最後に国を守る者となるだらう。(1944年8月21日)

まあ、こういう意味ではオレも「愛国者」ではある。これからはそう名乗るとするか。あ、もちろん「自国の文化を愛する」といっても、「自国の文化が世界でもっとも優れている」と主張したいわけではない。そういうアホを非国民と呼ぶ。