左翼の安売り

 国語審議会の連中はアカである。彼らが礼讃するのは、共産主義の国、中国の言語政策であり、その強力な政治力は彼等の羨望おく能わざるところである。中国がローマ字化に踏み切ったと聞いて感涙にむせび、連れ立って視察に出掛けたが、意外にも、毛沢東は試験的に漢字にローマ字のルビを振っただけだったので、大本営発表的な帰朝談の予定原稿は棚上げになった。

さてこの文章は誰はいつ書いたのであろうか。勿体を付けるのは趣味ではないのですぐに答えを書くが、これは大岡昇平が『新潮』1961年7月号でに載せた「国語審議会の連中は」という長文のエッセイである。六〇年安保、浅沼稲次郎暗殺、「風流夢譚」事件などで、「右翼は怖い」と誰もが思い、その反動として社会党共産党に好意や同情を寄せる者が多かった時期である。
あるいは同じ人物が書いた次のような文章はどうか。

(引用者中:広島への原子爆弾投下のニュースを知って)私の最初の反応が歓喜であったと書けば、人はわたしを非国民と呼ぶかもしれない。私はかねて現代物理学のファンであり、原子核内の諸現象に関する最近の研究に興味を持っていた。そしてコンミュニストがその精妙な理論を、資本主義第三期的頽廃と呼ぶのに気を悪くしていた。
(中略)
 しかし次の瞬間、私は無論わが国民がその事件の対象となったことを思ってぞっとした。親子爆弾どころの騒ぎではない。
八月十日

 極右のわが第三小隊長広田は嘆いた。
「あいつらが勝手のことを言って廻るのはかまわんが、若い連中がだんだん、もっともだという顔で聞いているのがたまらん。天皇様のことを悪く思ってくるのが、見ておれん。何や、綾野は投降兵やないか」
 私の同情はむしろ旧軍人の方に傾いた。いかにも民主グループのいうことは正しく合理的であるかもしれぬ。しかし現在様々の軍国的狂信を持ったままの俘虜としてして監禁されている我々のあいだで、一思想(引用者註:共産主義のこと)を宣伝しなければならぬ必要があるとは思われぬ。
新しき俘虜と古き俘虜

これらはいずれも『俘虜記』(ISBN:4101065012)に収められた作品である。前者は終戦直前、後者は終戦直後の出来事を描いたもので、いま流通している文庫本では隣り合って掲載されている。
「そうはいっても最晩年のエッセイや評論をまとめて没後すぐに刊行された『昭和末』(ISBN:4000026720)には1986年の『赤旗』に載せた文章があるではないか」と反論されるかもしれない。だがタイトルが「もっと攘夷の心をもって」、掲載日が8月15日で、みずから執筆したのではなく、談話をまとめたものであるのに注意しなければならない。それに当時は中曽根政権下で、大岡はことあるごとにこの総理大臣を批判してきた。「赤旗」編集部が「こんなときこそ大岡さんのコメントがほしい」と思ったのか、大岡が「こんなときは『赤旗』の取材に応じてもいいか」と思ったのか、どちらが正しいかは判然としないが、例外的な事態だったと考えられる。
小谷野敦が以前にみずからのはてなダイアリーで、「右翼と保守派は異なる。天皇への絶対的な忠誠心があるのが右翼で、何となく『いまの政治を変えないほうがいい』と思っているのが保守派」といったことを書いていたが(うろ覚え)、同じ意味で左翼と反体制派は異なる。マルクスエンゲルスの著作をまるで聖書のように扱っているのが左翼で、「いまの政治を変えたほうがいい」と主張するのが反体制派。だからこそ旧ソ連では膠着化した共産主義を批判した者が、「反体制派」とされたのだ。
ごくたまに活字メディアでもウェブ上でも大岡を「左翼文学者」として批判、あるいは礼讃するひとがいるので、かならずしもそうとは言い切れないことを指摘したいと以前か思っていたので、このような文章を書いた。反戦反核・反体制を唱えている人物をみな「左翼」呼ばわりするのは、あまりにも単純で乱暴な図式ではなかろうか。
オレは大岡昇平にも左翼にも一定の敬意を払っているからこそ、こうしたことを書きたくなった。諒とせられたい。