著作権保護期間は延長すべきか 賛否めぐり議論白熱

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/12/news063.html
このシンポジウムが開かれるとはやめに知っていたら、上京の予定を繰り上げていたところであった(仕事の打ち合わせなどがあり、13日と14日に上京するのだ)。
そんなことはともかく三田誠広の発言があまりにも面白すぎるので、ちょっとばかり揚げ足を取ってみる。

「芸術家はお金のために創作している訳ではないが、『誰かにちょっとほめてほしい』と思っている。著作権は、50年後や70年後に誰かにほめてもらうための権利。著作権が切れ、自分の作品がフリーで出回ったり100円ショップで売られたりするのは嬉しくない」

マーラーボードレール坂口安吾も(以下、いろいろいすぎるので略)著作権の保護期間は過ぎているが、オレは彼らの作品への賛辞を惜しむつもりはない。今後も誉めて誉めて誉めまくってやる。それに100円ショップで粗雑なコピー商品を買ったこともない(そもそもマーラー交響曲なんて、100円ショップでは手に入らない)。それに作者の死後の話をしているのに、「ほめてもらうための権利」を主張すること自体がおかしい。どうも彼の頭のなかでは創作者の立場と鑑賞者の立場が、うまく整理されていないのではないか。誉めるのは鑑賞者が自発的におこなう行為であり、創作者が強要するものではない。

太宰治さんの作品は、妻子の存命中に著作権が切れた。生きている間に著作権が切れるのは、奥さんや娘さんにとっても寂しいことではないか」――三田さんはこう訴える。「娘さんは残りの人生、父親の著作権が切れたまま生きなくてはならない」

太宰治夫人の津島美知子が死去したのは1997年で、太宰治が自殺したのは1948年。著作権の保護期間は50年なのだから、夫人が亡くなった時点では権利は存続していた。こんな引き算もできないのか。
それに太宰治の次女が現代日本を代表する女性純文学作家であるのは、誰もが知っているところ。しかし上の発言では、まるで太宰の娘は太宰の著作権だけを心の支えに生きているようではないか。文学者としてすで自立している女性に対して、これは失礼な発言である。というか同世代で同業者なんだから、太宰の著作権についてどう思うか、本人に直接訊けばいいではないか。そんな機会はいくらでもあるだろう。
こういういかにもすきだらけの文章のすきをねちねちと拾い上げるのは、あまり気分のいいものではないね。もうやめる。