健全な性意識

東山魁夷に憧れて日本画家を目指すも、借金苦が原因で父親が失踪して美大進学を断念、地元の中学校の校務員になるが、それでも「絵を描いて生活したい」という夢を捨て切れずに漫画家になった女性のサクセス・ストーリー。なんて書くと昭和30年代前半の話のようだが、平成の物語である。タイトルは『サルでも描けるまんが教室』のパロディーみたいだが、漫画を描くための小道具から漫画を「漫画らしく」見せるためのテクニック、「業界」のマナーや仕組みまで紹介されており、実用性は「サルまん」よりも上かも。
個人的に面白かったのは、自分の方向性が定まらずに悩んでいた時期の新條まゆが、「いい男が描きたくて漫画家になったのだから、ボーイズラブなら向いているかも」と思って勉強するも、どうしても違和感があって自分で描く気にはなれなかったこと。これを彼女は「漫画は主人公に感情移入しないと楽しめないもので、主人公が男だと感情移入できる対象がいない」と説明している。それではボーイズラブを好む女性は誰に感情移入するものなのか。よしながふみの『フラワー・オブ・ライフ』で真島は「ボーイズラブの読者は『受け』に感情移入するものなのだ」と力説していたが、これが通説なのだろうか。かくいうオレは男だが、小説にしても漫画にしても文体(絵柄)や構造を楽しみながら読むものだと思っているので(そのようにしか読めない)、ボーイズラブを読んでいても特に誰にも感情移入しない。もしするとしたら、自分と性格やルックスが似ている登場人物だろうか(当たり前すぎるぞ)。
ともあれ「自分は女だから主人公が男だと感情移入できない」とはずいぶん健全な性意識だなあ、と思う。だからこそどれだけバッシングを受けても、彼女の作品はティーンエイジャーの女の子から支持されたのかもしれない。
あと中小の出版社を見下すような発言がちらほらあってちょっとむっとしたが、まあ、彼女のようにハングリーな女性はマイナー出版社で趣味性の高い漫画を描いているひとは、「ぬるい」「甘えている」と思うのだろう。

漫画はブルジョワジーの愉しみ?

たとえば大塚英志は漫画が「安い」娯楽であるのにこだわっている。それよりも詳しい論旨は知らないのだが、どうもこうした発言には違和感がある。
いまの漫画単行本の主流はB6判で定価は600円前後。そしてちょっと人気のある作品は10巻くらい続くので、あとからまとめて買おうとすると、下手な専門書よりも金銭が必要に、下手な辞書よりもスペースが必要になる。はっきりいって、いわゆる「良書」しか読まないほうがよほど経済的である。これでは漫画喫茶や新古書店が流行するのも無理はない。よほど広い部屋に住んでいて、よほど可処分所得が多くなければ、自分が読んだすべての漫画を保存するのは難しい。
とにかく「狂ったようにたくさん描かせ、狂ったようにたくさん出版しないと成り立たない」という業界の構造を変えるのが先で、漫画喫茶や新古書店を目の敵にしている場合ではないと思うのだが。