アサマシく参考文献を列挙

仕事のために、まったく新刊を読む気がしない今日このごろ。そんなわけで仕事の参考資料として大いに役に立っている参考文献を、アサマシ(懐かしい言葉だな)く列挙する。

わが音楽わが人生

わが音楽わが人生

電子音楽イン・ジャパン―1955~1981

電子音楽イン・ジャパン―1955~1981

田中雄二『電子音楽イン・ジャパン』レビュー

ここまで書いたところで、かつて『電子音楽イン・ジャパン』のレビューを書いたことがあるのを思い出した。この本にはいろいろな改訂版があるが、オレがレビューしたのは初版となる。執筆されのは1999年12月。厳選館というオンライン書店のために書いたものである。つうか何をこんなに熱くなっていたのだろう、8年前のオレは。
以下、本文。

 写真が印象派の画家に与えた影響を例に出すまでもなく、近代芸術はテクノロジーの発展と不即不離の関係にある。とりわけ複製されることを前提として生まれたジャンルである(この程度の認識すら行き渡っていないのが現状なのだが)ポピュラー音楽を研究する上で、テクノロジーの問題は個々のミュージシャンの「内面」よりも、はるかに大きな研究価値をはらんでいるといっていい。
 にもかかわらずほとんどの「ポピュラー音楽評論家」の言説は、「CDで聴こうがLPで聴こうが、いい音楽はいい音楽なのだ」と開き直るか、「アンプもマイクも通さないで演奏される『ナマ』の音楽こそが、ホンモノの音楽なのだ」と原点回帰を唱えるか(しかし彼らの帰ろうとしている「原点」など、果たして存在するのか)に終始し、この問題と真剣に向き合おうとしてこなかった。音楽を支える技術がより高度なものとなり、マシンがブラックボックス化した現在、かかる反動はますます強まっているかのように思われる。

 この閉塞状況を打ち破るべく現れたのが、田中雄二氏の700ページを超える大著『電子音楽イン・ジャパン』である。のちに多くの現代音楽作曲家が野心的な作品を遺すNHK電子音楽スタジオが生まれた1955年に始まり、芝浦のスタジオAでYMOのメンバーが前代未聞のサンプリング・サウンドを作り上げた1981年に終わるこの本は、「昭和」を一断片を切り取ったノンフィクションとして、無類の面白さに富んでいる。
 本書で「電子音楽」とは「エレクトロニクス装置を使った音楽すべてを包括する」言葉として用いられている。いまでこそシンセサイザーリズムマシンを使っていないポピュラー音楽を探すほうが難しい時代になったが、エレクトロニクスが「楽器」として市民権を得るまでには、途方もない試行錯誤があった。それを象徴するのが『月の光』等で知られる冨田勲が、ムーグシンセサイザーを購入したときのエピソードだろう。シンセサイザーの大衆化に一役買った『スイッチト・オン・バッハ』のジャケット写真を手がかりとして、ムーグ社の存在を探り当てた冨田は、貿易会社を通じてムーグIIIを購入。ところが税関は「これは楽器とは認められない」として通関を拒否。冨田はムーグ社からさまざまな資料を取り寄せ、楽器であることを証明するが、ここで新たな障害が立ちはだかる。当時のムーグには操作マニュアルが存在せず、冨田はほとんどの機能を独学でマスターせざるをえなかったのだ(結果としてこれが冨田サウンドを個性的なものにしたわけだが)。
 ときは1971年、すでに英米では多くのロック・ミュージシャンが最新の録音技術を用いた刺戟的なレコード作りをはじめており、日本でも前年に開催された大阪万博の会場で、黛敏郎シュトックハウゼン電子音楽が鳴り響いていた。そんな時代においてなお、シンセサイザーへの理解度はこの程度でしかなかったのである。
 ポピュラー音楽とエレクトロニクスの歩みは、その後も決して平坦なものではなかった。ミュージシャン、レコーディング・エンジニア、楽器メーカー社員、コンピュータ・プログラマ、レコード会社役員、アマチュアの音楽ファン、これらのひとびとが渾然一体となり、反目と和解とを繰り返しながら、「新しいサウンド」へ向けて手探りを続けていたのである。雑誌の切り抜きや関係者へのインタヴューを通して、当時の状況の想像を絶する困難さ(しかしその何と魅力的なことか!)が浮き彫りになっていくのが、第一の読みどころだろう。
 ただこうした読みどころの多さゆえに、ある種の音楽ファンは本書を「シンセサイザーびっくりエピソード集」として読んでしまうかもしれない。またそう読んでも構わないほど、個々のエピソードは単独でも充分に興味深い。しかしより注意深い読者は、日本のポピュラー音楽の「通史」を描こうとする著者の野心的な試みに気がつくに違いない。

 先にも述べたように、ポピュラー音楽の歴史はテクノロジーの発展と切り離せない。だが従来の「通史」は、この事実にあまりにも無自覚すぎた。ある年に流行した楽曲のメロディーの構造やら歌い手の心理やらを分析し、その結果をクロニカルに並べてみたところで、それは断じて「通史」ではなく、いかに学術的な体裁をとっていたとしても「びっくりエピソード集」以上の意義は持たない。
電子音楽イン・ジャパン』は正統的な音楽教育を受けた者や、実力派ミュージシャンとして名声を確立していた者の「耳」が、エレクトロニクスの登場によって揺らぎ、後戻りのできない変容を遂げたさまを克明に記録している。シーケンサーの導入で「ドラッグ文化を2度経験した」鈴木慶一エフェクターの多用によって「脳の位相がズレ」た細野晴臣。「コンピュータを併用し出してから、音をとらえる耳が変化したことを認めている」松武秀樹。旧来のポピュラー音楽通史が、われわれ聴衆の実感からは程遠いものにしかならなかったのは、テクノロジーによる「耳」の変容というごく平凡な事実を見過ごしていたからにほかならない。生オーケストラだと思って聴いていたストリングスが、シンセサイザーで合成されたものだと気付いたとき、CDを聴く回数がLPを聴く回数よりもいつのまにか増えたとき、われわれの「耳」はたしかに変化したのだ。
 この本が伝えるもうひとつの貴重な事実、それは日本のポピュラー音楽の屋台骨を支えている顔ぶれがここ20年来、さほど変化していないことである。評論家たちは表舞台に立つ人間の移り変わりの激しさばかりに目を奪われ、半年前のヒット曲を誰も覚えていない現状に嘆息する。そしてこの状態は「ニセモノ」であると断罪し、「ホンモノ」の音楽が息づいている世界に身をゆだねようとする。しかし「ニセモノ」の世界にも冨田勲松武秀樹佐久間正英細野晴臣が長年の研鑚の末に生み出したサウンドが、「伝統」として確実に受け継がれているのだ。その程度のことすら聞き分けられない「耳」が、ガムランやブルーズから何を得るつもりでいるのか。
(繰り返して問うが、「ホンモノ」とは何なのか。民族音楽はそれが「新奇な」サウンドであるからこそ、われわれの耳を惹くのではないか。アンプラグドが新鮮なのは、聴きなれた曲が「目新しい」サウンドで鳴り響くからではないか。坂本龍一シンセサイザーの音だけでは飽き足りず、より「新奇な」世界を作り出すために朝鮮半島やバリ島のサウンドサンプラーに放り込んだ。この姿勢を帝国主義的と批判する「良心的」音楽ファンは、みずからがガムランの響きに目醒めたきっかけを、いま一度思い起こすがよい)
 テクノロジーという太い枠組みを用意することで、不連続性ばかりが強調されがちな戦後のポピュラー音楽の世界に連続したパースペクティブを与える本書は、見事に「通史」たりえてる。

 かかる知的刺戟に満ち溢れる本書だが、残念ながらふたつばかり欠陥がある。ひとつはケアレスミスにもとづく誤表記や誤データが散見されること。たとえばYMOが「マルティプライズ」で引用している楽曲が、「『黄金の七人』(エルマー・バーンスタイン)」と表記されているような(正しくは「荒野の七人」。「黄金の七人」はトロヴァヨーリの作品)。もっとも著者自身この欠陥には自覚的であり、増刷されるたびに可能なかぎりの加筆訂正をおこなっている旨を公式サイトで明言している。
 より深刻なのは、巻末の索引が「本文に出てくる太字の単語のページ」のみを示すという、恣意的な作りになっていることだ。おかげで東京芸術大学音響研究室の初代センター長である柴田南雄や、同研究室で若手の指導者として活躍した小泉文夫の名前が、「本文には太字で出てこない」ゆえに索引から抜け落ちる結果となっている。読み物としてだけではなく、資料としても充分に有益な内容であるだけに、この不徹底性はいかにも惜しまれる。

 ともあれ本書が日本人の手によるポピュラー音楽研究の最高峰であることは疑いを入れない。これだけの網羅性を誇る書物が在野の若手ライターによって書かれたことに、旧態依然たる「音楽学者」や「音楽評論家」は本気で危機感を覚えなければならない。この著者は彼らが嫌悪して止まない、極めてオタク的な現場からキャリアを出発させているのだ。
 また随所に描かれている、豊かな音楽的感性を持った技術者と新しいテクノロジーへの適応能力を持つ音楽家の共同作業には、技術面でのスペシャリストとミュージシャンが乖離しかかっている今日のシーンにはないみずみずしさがある。サイバースペースの普及以来顕著な、発達しすぎたテクノロジーに呪術的な価値を見出そうとする潮流に対する解毒剤としても、本書は有効に作用するだろう。