ゲーム

住所登録」問題にはしばらく言及しないつもりだったのだが、下澤和義さんのid:shimozawa:20041108を読み、こういう視点もあった(こういう視点こそほしかった)と感じたので、紹介する。

今回の件については、弁護士やセキュリティーの専門家や人気ダイアラー(笑)が入り乱れて、混沌とした論争が展開されている。それ自体は悪いことではないのだが、「より信頼できるユーザー」に一番乗りで賛同した人間が勝利するゲームのようになっている(自分自身もこのゲームにのめり込みすぎた自覚があり、だからこそ言及しなくなったのだが)。そんななか、人文系のユーザーによる実務的な要素の乏しい意見を眼にすると、少し落ち着いた気分になる。特にキーワード機能に「他者への緊張感を喚起してくれる役割」があるという指摘は、今回の件とはあまり関係ないものの、新鮮に感じられた。

と、「これまでにはあまりなかったタイプの意見」に率先してトラックバックを送るのが、まさしくいま繰り広げられているゲームのルールだったりするのだが。

同業者

新宿でid:gotanda6さん、猪蔵さんと呑む。自分とはぜんぜん接点がないと思っていたひとが、じつは知り合いの知り合いだった、みたいなパターンはもう飽きた(笑)。IT系出版業界の人間関係は狭すぎる。しかし猪蔵さんも指摘していたが、これはIT系出版業界にかぎった話ではないだろう。どの分野でも精力的に活動していて、定期的に仕事があるひとの数は、小学校の体育館に収納できる程度の人数しかいないのではないか。映画や音楽は、出版よりもさらに狭い世界で完結している気がする。よく知らないのだが。

うじうじ

仲正昌樹『お金に「正しさ」はあるのか』(ISBN:4480062009)を読み始める。小谷野敦の卑屈さは「芸」として笑えるのだが、このひとの文章はただ単に卑屈なだけなのではないか。その辺を我慢して読み進めれば、なかなか面白い話題にたどり着けそうなのだが、その前に挫折しそうな予感がある。