実印をめぐる実際的な疑問
オレが現役の学部生・院生(1989年から2008年1998年まで)だったころは、履歴書の「氏名」の欄に実印を押すのがマナーというか、常識であった。しかいいま市販されている履歴書の「記入例」に実印を押すのを推奨しているものなど、どこにもない。「実印重視社会」から脱却しつつあるのであれば喜ばしいことだが、意外なところで「サインや拇印では信用できない。実印が必要だ」と言われることがある。何を判断して実印のあるなしを判断しているのだろうか、金融や運送にかかわるひとたちは。
これから読む本
自分にプレッシャーをかけるために、優先的に読むつもりの5冊の本にリンクする。いずれも入手済み。順不同。
- 作者: 安田敏朗
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/11/16
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- 作者: 三島由紀夫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1964/05/04
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- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
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- 作者: 山下浩
- 出版社/メーカー: 日本エディタースクール出版部
- 発売日: 1993/08
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- 作者: 大岡昇平
- 出版社/メーカー: 雪華社
- 発売日: 1962
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本日の読了本
- 作者: 川村湊
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/11/05
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大岡昇平は1909年五月生まれ、中島敦は同年5月生まれ、太宰治はこれまは同年6月生まれ。戦時中に落命した中島、敗戦の食後に自死したあとのふたりがもっと長生きしていたら、歴史的仮名遣いと正字を放棄して、ある時期からの大岡のように「間違っているが、敗戦国であるからには間違った書法を採用しなければならい」というロジックで現代仮名遣いと略字を採用しただろうか。何となく興味のあるところだ。
阿川尚之、この唾棄すべき暗愚
【正論】慶応大学教授・阿川尚之「マスコミの常識」は非常識
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080508/trd0805080326000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080508/trd0805080326000-n2.htm
Voltaireの"Ecrasez infâme"を座右の銘とするオレは、つまらぬ発言をおおやけの媒体に発表する「知識人のみなさんを批判するのが、わが社会的使命と心得ている。たとえば上で紹介した父親が大江健三郎である"infâme"もその対象となる*1。
ている。
阿川弘之- Wikipediaを読むかぎりでは、彼は日本の大学で大学院以上に進んだこともないようだ。あまつさえ学部を中退している。そんな人間が慶応義塾大学の教授になれたのは、「親の七光り」のせいかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよろしい。オレが問題としたいのは彼の、
私が奉職する大学だって非常識がうようよしている。
という発言だ。これだけを読むと、まるで非常勤講師は学者として失格であるかのような印象を与えかねない。しかし世渡りが下手だったり、「学閥」とやら(これこそ"Ecrasez infâme"の典型である)に属していないせいで、正規のポストを選らない人間など、いくらでもいる。こういう差別的な言辞を吐く人間が「慶応大学教授」という肩書きのもとで愚劣な文章を書き散らしているのは、「『大学人の常識』は非常識」としか思えないのだが。
*1:コメント欄で指摘されて気付いたが、"infâme"なのは大江健三郎の息子ではなく、大江健三郎の論敵、阿川弘之の息子である。この書き間違いには特に他意はない。
馬鹿猫の想ひ出
本日は猫とハイテクについて書いたので、思い出話をひとつ。リアルタイムで書いたかもしれないが。いまから5年くらい前になるが雑誌に載せる短い文章を書いていて一休みしたところ、馬鹿猫が"Delete"キーを押した。ごみ箱に何かが入っていると、「ごみ箱を空にする」を条件反射的に右クリックで選択するのが癖になっているので、あわや原稿を消去してしまうところであった。そのときはさすがに気付いたが。
「猫がキーボードの上を歩いたせいで、原稿が消去した」というのはワープロやパソコンが普及してから遅筆の作家の言い訳の常套句になっているが、本当にそういうことがあるのである。恐ろしい。
といったことをもっとユーモラスな文体で書いて、ついでに馬鹿猫の写真を毎日のようにアップロードすれば、「人気ブロガー」とやらの仲間入りできるかもしれない。しかし大して気が進まないことをやって人気者になったところで、楽しくも何ともない。
日常の謎
固定電話の留守電機能はいつもONにしてあるのに、いつの間にかOFFになっていることが多い。なぜなのだろうと気にしていたのだが、固定電話が置いてあるのはわが駄猫が居間からダイニングに通り抜けるためによく使うルートなのだ。そのときに肉球で「留守電」ボタンを押すのだろう。しかし猫は神出鬼没の生き物で、おまけにいまの居間のレイアウトからして、こここそが固定電話を置くベストポジション。どうすればいいのか。おかげでオレは仕事がらみのけっこう重要な電話を聞き逃しているのかもしれない。しかし仕事よりも猫のほうが大事なのだ、オレにとっては(なんてことをブログに書くと、ただでさえ少ない仕事がさらに減るかもしれないが)。